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山の端に月


典拠 「源氏物語」夕顔巻

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山の端の心もしらで ゆく月は うはのそらにて影や絶えなむ

訳: 山の端がどう思っていらっしゃるかも知らず渡って行く月は
もしかしたら空の途中で姿を消してしまうかもしれませぬ

夕顔の返歌をイメージして描く
その折の源氏君の歌は

いにしへもかくやは人のまどひけん わがまだ知らぬしののめの道

訳: 昔の人もこのように彷徨ったのであろうか
私がまだ知らない夜明けの恋の道行を…

この二首の歌からもわかるように
源氏君と夕顔の気持ちの微妙なズレは、夕顔巻の始めから終わりまで続く。
夕顔巻のおもしろさは、このズレに尽きるとさえ思っている。
男が一方的に夢中になった恋
男女の行方は…予想もせぬ女の突然死で終わるのだが…。

*  *  *


万樹の「夕顔巻」もの想い

「源氏物語」に登場する女君たちの中で
「好きなタイプ」の人気投票をすると 
夕顔はベスト1を競うひとりのようです…。
特に、男性諸氏には評判がいいらしいです。  

夕顔って、そんなにいい女なの?

ヤッかみ?と言われても仕方がないけれども
どうも、作者に騙されているような気がしてなりません。

夕顔は、帚木巻「雨夜の品定め」に噂話の女として登場してきます。
頭中将(左大臣の息子・光源氏の正妻葵上の兄弟)が
「愚かな女」の例として 常夏の女(後の夕顔)を語りました。

この時代の「愚かな女」とは
今風に言えば
名家の出、資産家で、高い教養、将来性もあり
その上イケメンであるという
どこから見ても欠点のない男から
逃げ出した女のこと

紫式部は
雨夜に男たちが語り合った「愚かな女」を
特別美しいというわけでもない中流貴族の娘ふたり 
「空蝉」「夕顔」を物語上に設定して
最高級の男・源氏君に巡り遭わせるのです。

果たして、男たちの「雨夜の品定め」は妥当であったか、どうか…
紫式部は、空蝉巻や夕顔巻にいく通りもの仕掛けをして
読者の判断に揺さぶりをかけてきます


空蝉は、源氏君の想いを徹底的に拒絶しました。
あさましくつれなき…(呆れるくらいに冷淡な)」と光源氏に思わせた女。
まるで、蝉の抜け殻を鎧に着ているような頑なさ。
しかし、源氏君に対する空蝉の秘めたる想いは
羽化を始める蝉の羽のように柔らかで優しげ…です。

空蝉は、後々まで光源氏と関わって
「源氏物語」上から去ることはありません

一方、夕顔
けはひ、いとあさましくやはらかにおほどきて
もの深く重き方はおくれて
ひたぶるに若びたるものから
世をまだしらぬにもあらず
いとやむごとなきにはあるまじ…」と、源氏君に思わせる。

訳: 女の様子は信じがたいくらいに素直で、おおらか
考え深げとかしっかりしているとかいう点はないが
とても幼げであるにもかかわらず
男女の仲を知らないというふうでもない
また、たいして格別の素性でもあるまい

あやしきまで、今朝のほど昼間の隔てもおぼつかなくなど思ひわづらはれたまへば かつは いともの狂ほしければ…」

つまり、源氏君は、寝ても覚めても夕顔のことが忘れられず
苦しくてたまらないというわけです。

ところが、夕顔は、男にの言うなりにはなるけれど
自分の心情を相手に悟られるようなことは
決して言わない人
最期まで「海女の子なれば」と名も素性も源氏君に告げませんでした
読者もまた
夕顔自身が何を思っていたか、分からず仕舞いにされるのです

夕顔は
男にとって本当にいい女なのか
心から源氏君に惚れ込んではいる気配が感じられない
どうも、源氏君以外の想い人がいたような…
そんな風に思います

紫式部は
「夕顔は、源氏君が思い込んでいるような女ではないの、本当は…。
男に女が、そうそう簡単にわかるわけがないじゃない」
と、密かに笑っているような気がしませんか?

「帚木」から「空蝉」「夕顔」の巻は
読み返すたびに
次々と新しく見えてくるものがあって 
面白くてたまらない
それで、「夕顔」の絵を、何枚も繰り返し描いてしまいます





ただ今も 「夕顔の宿へ忍びゆく光源氏」を制作中
今夏の「ジャパネスク2012  時季のうつろい」に出展します。

7月10日夜

文中の「源氏物語」原文は
小学館 日本古典文学全集 「源氏物語1」から引用

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